★押忍★ズボラ番長です。2月はあっという間。
だけど私が住む東海・名古屋にとっては
別れが多い2月かもしれません。
今は専ら、2026年2月28日をもって閉店する
名鉄百貨店本店と近鉄パッセの話題がつきませんが
私にとって衝撃的だったのは
名古屋のローカルタレント・宮地佑紀生さんの訃報でした。

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2011年くらいに入手した思い出の品です。
私にとって宮地さんは、ラジオの人。
東海ラジオで平日午後放送された長寿番組
「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」は
会社員時代に社用車の中でずっと聞いてました。
写真のステッカー(お2人とも若い)は、結婚を機に退社し、
新婚生活を送っていた時に
番組にメッセージを寄せ、もらったもの。
思い描いていた生活よりも孤独でしんどくて
だけど周囲の誰にも相談できず
毎日宮地さんのラジオに助けれられていました。
数年後、まさかあの事件であっけなく終わるとは
思いもしなかったですけどね。。。
ですが、私の古い記憶として
深く刻まれている宮地さんの番組といえば
「聞いてみや~ち」より、もっともっと前
のラジオ番組「どんどん土曜大放送」でした。
私の記憶に残っているのは1980年代。
83年~引っ越しで愛知県を離れるまでの86年は
よく聞いていました。
当時は小学校低~中学年。
その頃は土曜日も授業があったので
昼は定番のやきそば食べて、
女の60分見てからラジオを聞いていました。
昔から家が好きで外では遊ばず
母が内職の仕事をする傍らでラジオを聞くのが
お決まりでした。
午後2時~夕方まで
リクエストを募って歌謡曲のランキングを発表する
プログラムでしたが、特に覚えているのが
ランキングに入った歌手の週末のスケジュールを
教えてくれること。宮地さんとアシスタントの人が。
ある人の場合は、「ツアーです」 とか
「お休みです」とか…ちゃんと教えてくれるの。
なぜそんなことが分かるのだろうと、
素直な子どもは疑うことなく聞き入っていました。
(あれ、ちゃんと公式から許可出てたのかしら)
私が芸能関係のニュースが好きになったのは、
この思い出がきっかけかもしれません(笑)
宮地さんの声と名古屋弁は、
昭和80年代も平成になっても変わること(劣ること)
がなかった気がします。
声の周波数のようなもの?とかトーンが
実に大衆向きで、それが長い年月、そして
東海地方の人々になじみやすかったのではないでしょうか。
ちなみに、叔母も宮地リスナーのひとり。
宮地さんの声が生活の一部として
息づいている人はきっと多いことでしょう。
訃報が出た週末の中日新聞に、
まだまだ現役のローカルタレント・
つボイノリオさんがメッセージを残していました。
愛と敬意あるお言葉がしみました。
つボイさんには頑張っていただきたいです(無理は禁物ですが)

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原稿は載せられないので、ペイントしてます。
2026年2月26日のお別れの会に行きたかったけど
このような形で感謝を伝えたいと思います。
ありがとうございました。
それでは、今日はこれにて。
★押忍★